地元の人たちから昔から愛されてきた湯

地・温泉はこんな湯

●地・温泉は、JR東日本がセレクトし、東日本各地に根ざした伝統ある34の湯。
奈良屋の湯は、野沢温泉で唯一参加しています。

「当館は大正の初めの創業ですが、それ以前から敷地内で湧く源泉につかりに、近所の人が訪れていたそうです。
内湯や露天風呂で、さらりとした肌触りの湯をご堪能ください。
野沢を代表する源泉・麻釜(おがま)は当館近く。温泉散策も楽しいですよ」
------ 湯守・池田忠夫 -----※

地・温泉は、その地に根ざし地元の人たちから昔から愛されてきた湯である。
かつては湯台場だった、という一軒宿が多い。大規模ではなく、もてなしがすみずみまで行き届く規模。
宿の人たちとも話が笑顔で行き交う、そんな気さくな宿。部屋にも、風呂場にも木の温もりがあり、心からくつろげる。
もちろん、湧き出る湯は"かけ流し"もしくはそれに準ずる、本物の湯でなければならない。
そして、食事は"地"のものが、愛情こもったその地の流儀で供される
―――そんな湯だけが"地・温泉"という称号を得ることができる。

●地・温泉「湯守りの会」
ここに紹介された34湯は、「湯守の会」で結ばれている。それぞれの宿の館主や女将たちで組織され、互いに切磋琢磨しているのだ。彼らはその地に根づいた伝統的な湯であることを誇りに思っている。
この湯を守り続けることが自分たちの使命と受け止めている。だから、骨身を惜しま"湯"に愛情を注ぐ。
地・温泉の湯はどこに行っても満足できる、このような評判が定着してきたのは、実はそんな湯守たちの努力のたまものである。
浴びるほどの「地力」を頂こう。
https://www.jreast.co.jp/the-onsen/list

◎ 湯守※
湯守(ゆもり)は、温泉(源泉)の管理人である。
湯守が任ぜられたのは主に封建制度が存在した時代からである。温泉が存在する土地の領主から管理を任されたり、売り上げを納める代わりに温泉の利用を独占する許可として湯守の地位が与えられた。また代々湯守を与えられた一族がその地位を継承していった。湯守の多くは江戸時代に任ぜられている。戦国時代が終わって治世が安定したことによる。
明治時代以降湯守の制度は終わったが、湯守の多くはそのまま温泉の利用権を保持した。湯小屋などを営んでいた場合は旅館となった。また温泉の管理についても引き続き湯守の一族が行う場合と、地域の共同管理に移行する場合の両方存在した。現代において湯守を名乗る場合、源泉まで含めた入浴施設全般の管理を専業で行う従業員、という位置づけである。
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